雑記

無職から抜け出せない発達障害者

矢印

貯金を切り崩しながら無職生活をしているので、一刻も早く働かねばならない。でも先のことを考えるとどうしても働く気になれない。

何とか正社員になれたとして、それは介護か警備か工場か。少なくともサラリーマンとしてやっていくのは能力的に無理だ。

薄給でやりたい仕事でもなく、世間から見下されながら働く。独身貴族にも家族持ちにも、彼女を作ることすらできないスペックのまま人生を進める。

淡々と仕事をできるならまだ耐えられるが、自分は最も無能な注意欠陥型ADHDとASDの併発。同僚に白い目で見られながら、後輩に見下されながら働くのはほぼ確定事項だ。

心を入れ替えて全力で努力したところで、きっと人並みかそれ以下に到達するのがやっとだろう。

目次

発達障害者の人生はコスパが悪い

一生懸命生きても惨めな思いをするばかり。努力するほど劣等感を募らせて失望する。そんな毎日を繰り返した先に待っているのはどのような人生なのだろうか。そんな人生に必死にしがみつく価値はあるのだろうか。

「人と比べても仕方ない」「生きることに意味がある」「自分なりの楽しさを見つければいい」

僕の極論に近い考えに対してこう思う方もいるかもしれないが、普通の人生を諦め、普通じゃない人生の中でも底辺の生き方を強いられることにどうしても納得ができない。

人間は遺伝子と環境と運が全てで、個人の努力や意思なんてほとんど関係ないと思っている。

だから僕はハズレくじを引いただけ。たまたま運が悪かっただけ。世の中には僕以上に恵まれない人なんてごまんもいるし、悲劇の主人公気取りは見苦しい。

でも、僕は大学進学まで健常者と思って生きてきて、それなりに生活は充実していた。もちろん、その頃から無能や非モテの兆候はあったけど、それでもまだマシな人生だった。

だから社会人になってから、こんなに落ちぶれるとは思っていなかった。そして大学の同期は、当たり前のように大企業に内定して、今でもバリバリ稼いでいる。

自分の人生の中での落差、同じスタートラインだったはずの大学の同期との落差に耐えられない。

中途半端に健常者として生きてきたせいで、自分を待っているはずだったそこそこイケてる人生への執着が捨てられない。本当はそんなもの、最初からなかったのだけど。

ただでさえ人生の難易度が高いのに、誰も認めてくれない。何の保証もない。ただ損するだけで、死ぬまで人生を壊され続ける。

資本主義、自由恋愛、格差社会、こうした能力主義社会では、発達障害はひたすら排除される。唯一の救いである結婚も、平均的な容姿を持つ女に生まれなかった時点で望めない。

女の人権はどんどん拡張しているが、その煽りを受けて男にはあらゆるステータスが求められるようになった。その基準値に満たない男は存在価値が認められない。

ひとりで生きる人生もいいが、そういう男は金も自由もないので、ただ孤独で虚しいだけだ。

発達障害者は何の仕事ならできるのか

営業もできない、ブルーカラーも無理、ライン工は続かない、フリーランスもうまくいかない。

続けようと思えば続けられる。でも精神が耐えられない。基本的に無能だし、すぐメンタルはボロボロになるし、飽きっぽいし、どうしようもない。

発達障害者は好きな事を仕事にすればいいというが、自分は好きな事も得意な事もない。薄っぺらく好きな事はあるが、それを仕事にしようとは思わない。

寝食を忘れて没頭した経験もない。ADHDには過集中があると言うが、注意欠陥型ADHDとASDの併発にはどうやら縁がないようで、何事も飽きっぽくて極められない。

思えば小さい頃からそうだった。ゲームだってどれも中途半端で終わるし、検察官になりたくて頑張っていた勉強も1年ほどで熱が冷めた。部活でも追い込めない。

それが普通かもしれないけど、その根性の無さが仕事や生活、命がかかっていても変わらないのが問題だ。

「仕事は嫌いだけど生活のために働く」「仕事の為なら人間関係を割り切る」ということが壊滅的にできない。その類の辛抱をするなら自殺も平気で選択肢に挙がる。自殺か働くか、今とても迷っているところだ。

無能なくせにプライドは高くて、発達障害者のくせに人並みの仕事にこだわる。本当にどうしようもないけど、そういう人格になってしまったのだから仕方がない。

こんな自分でもやろうと思える仕事は以下の通り。

  • 大卒平均の給料と休み、福利厚生がある会社
  • 多少条件は悪くても、仕事内容や人間関係にストレスがない会社
  • 条件は悪くても、自分がやりたい事だし周囲もそういうものだと理解してくれる仕事(アパレルやWebデザイナーなど)

条件のいい会社か、自分が快適な会社か、世間体の問題がない仕事、どれかを満たすものでないとやる気が湧かない。働きたくない。

自分で書いていて呆れるが、この期に及んで世間体を除外できない。自分が生きることよりも世間体を重視している。毒親気質だった親の影響だろうか。それ以外の人生に価値があるとは思えないし、満たされないなら本気で死んでいいと思っている。

かといって行動しているかと言えば、気まぐれに転職サイトを眺めているだけだし、この時間に資格を取るとか就労移行支援に通うだとかいった努力もしていない。

自分の人生を劇的に変えてくれる出会いがある日突然降ってくることを、口を開けてぼーっと待っているのである。28歳にもなって、本気で運命的な何かが自分の人生を救ってくれると思っている。

異常な事だが、「発達障害者の精神年齢は実年齢の3分の2」説を鑑みれば、今の僕は19歳。世間知らずの大学生の考えとしては自然だろう。もっとも、自分は社会人経験を経た立派なアラサーなのだが。

発達障害者の社会的価値

才能に恵まれた発達障害者なんて全体のごく一部だ。発達障害者はYoutuberやデザイナーに向いてる!と言って本当にそうなれるのはごく一部だ。

発達障害について情報発信している人間で、普通のサラリーマンとして生活できている人が何人いるだろうか。芸術家だの作家だの、再現性のない特別な人間がこちらと同じ土俵で発達障害を語ることが心底腹立たしい。

この時代に発達障害の男に生まれるということは、社会的地位、財産、異性交遊からの敗北を意味する。生まれた瞬間負けているのだ。何も持っていない。それどころか、あらゆる幸せの可能性を排除される呪いにかかっている。

社会に出たところで、ただ無能な発達障害者など歓迎されない。仕事はできないわコミュニケーションは取れないわ、余計な仕事ばかり増やす存在、まさに「いない方がマシ」である。

そんな才能のかけらもない無能な発達障害者は何の仕事をすればいいのか。

みんながやりたがらない仕事。薄給でコキ使われる仕事。経営者にとって都合よく首を切れる仕事。機械化するより人間にやらせる方が安上がりな仕事。

飲食、介護、警備、工場、この中からより健常者の迷惑にならない仕事を選び、不満やストレスは我慢する。給料も休みも望まない。

低収入だし結婚もできない。贅沢もできない。でもそれはしょうがない。本人の努力不足、能力不足なんだから。40、50と年を重ねるにつれて状況はどんどん悲惨になり、もう後戻りはできない。典型的な貧困層の仲間入りだ。

発達障害者の男の自分に待ち受けているのは、こんな人生なのだろう。丁寧に生きても報われない。考えるだけでゾッとする。でもこれが考えうる限り最も現実的な将来だ。

劣等感と惨めさで窒息しそうになる人生を生きるのが怖い。死ぬよりも怖い。もうこれから何一ついいことなんてない。待ち受けているのは貧困と孤独だ。惨めな中年、高齢者になるのなんて目に見えている。

人の幸せを妬み、家族連れや若いカップルなんて見たら憎悪のあまり殺意すら芽生えるかもしれない。最近は段々と犯罪者のような思考になってしまって、「無敵の人事件」の記事を見ると加害者側に同情してしまう。

好きでこんな人格になったわけじゃないのに。幸せになりたかったのに。それを奪ったのは遺伝子と環境と社会なのに。

発達障害者の男はどうしたら救われるのか

発達障害者の男が救われるビジョンが全く見えない。20代のうちに転職を繰り返し、自分でも続けられそうな職場を探し続けるか。

ストレスが少なくて人間関係も悪くなくて、マルチタスクじゃなくてコミュニケーション能力もそれほど必要じゃなくて、そこそこの給料と休みもらえて世間体もそれほど悪くなくて、飽きずに熱中できるような仕事。

あるはずがない。こんな無能でもこなせて待遇がいい会社なんて存在しない。

自分の短所を補って余りある長所が見つかればいいのだが、そんなものは存在しない。営業の仕事を通じて、商談、事務、資料作成、テレアポ、現場作業、イベント運営など様々な仕事をしてきたが、どれも全然できなかった。

自分が力を発揮した分野はなかった。どれも人並み以下で、先輩や上司の言われたとおりに動くだけ精いっぱいだった。仕事を楽しめたことも、充実感を得たことも、同僚やクライアントから感謝されたこともなかった。本当に無能だったのだ。

社会的な仕事ができなくて、クリエイターとしての才能もない。人から嫌悪される仕事に従事し、歯車として声を発さず使い捨てられることでしか存在意義を見出せない。

根性もない。甘ったれだし。言い訳ばかり思いつく。人間性まで腐っている。元々こんなのじゃなかったのにな。もう終わりにしたい。死ぬことでしか救われない人間もいる。

なら残りの人生は何をしようか。特にやりたいことも思いつかないけど。

POSTED COMMENT

  1. 文左衛門 より:

    そんなに悲観しなくても良いのでは。
    これだけのコメントが書けるのに。
    前に記載していた無口な父上に相談してみたらいかがですか?
    同僚も心配してましたよ。

    • todablog より:

      コメントありがとうございます。
      もう悲観することでしか精神を保てません。これは趣味みたいなものです。
      父親は信用できないですね。人の痛みが分からない人間なので。タチの悪いASDだと思います。

  2. wablas より:

    僕も発達障害者で無職です。貴方の文章は面白いです。面白いというのは笑い物にしているとかではなく、共感できるということでの意味です。そこら辺の自己啓発本や小説よりも自分に刺さります。

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