発達障害者の願いはただひとつ。
「普通になりたい」ですよね。
僕は社会人になって発達障害と診断されました。
上司から怒られ、定型(健常者)に産まなかった両親を恨み、楽しそうな友人に嫉妬する毎日。
”普通”に苦しめられ、こんな人生に意味があるのかと本気で悩んでいました。
そんな時に出会ったのがこの本。
精神科医・泉谷閑示著、「『普通がいい』という病」です。
”普通”という洗脳や固定観念から自分を解放し、ありのままに生きるための方法や考え方が書かれています。
こんな人におすすめの本!
- 普通に生きられなくて苦しんでいる
- 会社や学校で何もかもうまくいかない
- こんな人生を生きる意味がわからない
この本を読むことで、自分の中の普通を見つめなおし、自分らしく生きるための第一歩を踏み出すことができますよ!
発達障害当事者の視点で、この本を解説していきます!
目次
発達障害者を苦しめる自己コントロール


子供が自由に伸び伸びしているのは、心の声に従っているからです。
ですが次第に常識や周囲の目を気にするようになり、頭によって心はコントロールされます。
- 自己コントロールのメカニズム
- 親の欲望に振り回される場合
- 意志力が強い人ほど危険
この自己コントロールに心が耐えきれなくなり、鬱やひきこもりとなって現われるのです。
自己コントロールのメカニズム
自己コントロールとは、心の声や直感を、頭が無理やり支配することです。
頭の判断基準は「道徳・常識・計算」によるもので、自分本来の欲求とはかけ離れています。
発達障害が生きづらいのは、自分の性格や直感を無視され、普通を強要されるからです。
次第に心の声が封じ込められ、「自分は普通になりたいんだ」と頭が勝手に解釈します。
発達障害の苦しみは、こうした自己コントロールによって生まれているのです。
頭は心の声を偽装するが、その違和感にストレスが溜まっていく。
親の欲望に振り回される場合
発達障害者は毒親持ちが多い印象があります。
それは、発達障害の子供を無理やり「普通の型」にはめようとするからです。
親は「お前のために~」を枕詞にするため、判断力のない子供はそれを愛情と受け取ります。
最初は違和感を感じながらも受け入れますが、徐々にそれが欲望だと気付くのです。
それが反抗期となったり、引きこもりの原因となったりします。
しかし親の支配が強いと、無意識に親の価値観に洗脳され、親元を離れても”違和感”に苦しめられ続けるのです。
いい大人になっても、親の価値観に支配され続ける場合がある。
意志力が強い人ほど危険
自己コントロールする意志力が弱い人なら、困難を前に挫折するので、まだ救いがあります。
問題は、意志力が強く、心を壊すまで頑張り続けてしまう人です。
発達障害ならば、「普通になれない自分が悪い、努力が足りない」と思い込み、働き続けてしまいます。
しかし最後まで理想と現実のギャップが埋められず、再起不能になってしまうのです。
自己責任論が過ぎると、自分の歪みに気付けない
発達障害者が向かないことを続けてしまう理由


発達障害者が向かないことを続けてしまう理由は、次の3つです。
- 頭による心の支配
- 弱音は逃げだと思い込む
- 自分にレッテルを貼る
苦しいのに辞められないのは、それだけ”普通”に強く拘束されているからです。
頭による心の支配
発達障害者の頭は、心の声を”普通”という鎖で支配します。
定型の価値観を普遍的で正しいと思い込んでいるので、仕事や対人関係に難があることを”悪”だと決めつけ、追い詰めます。
確かに僕も働いく中で、「当たり前ができない」のがとても苦しく、自分には存在価値がないと本気で思っていました。
サラリーマンだけが生きる道ではありませんが、僕にとって普通というレールから脱落することは”死”を意味していたのです。
刷り込まれた普通が、逃げ道を排除していく。
弱音は逃げだと思い込む
意志力が強く、かつ完璧主義だと、弱っている自分を許すことができません。
僕は真面目で我慢強くなるよう、小さい頃から親に仕込まれていました。
そのため、働きながら毎日自殺を考えていた時も、「こんな当たり前のことができなくて鬱になるのは甘えだ」と頑張っていたのです。
玄関のドアに首吊り用のロープをぶら下げて、「本当につらかったらすぐ死ねる。だから今日だけ頑張ろう」と思って家を出るのがルーティンでした。
退路を自ら断ってしまうので、向いていようが向いていまいが、自己責任論で限界まで働き続けます。
相談したり逃げたりする選択肢があることを知らない。
自分にレッテルを貼る
普通に縛られ、普通ルートから外れた人は、正当化するため自分にレッテルを貼ります。
たとえば、僕が発達障害と診断されたとき。
- 発達障害だから仕事ができない
- 発達障害だから人が苦手
- 発達障害だから頭が悪い
- 発達障害だから結婚できない
- 発達障害だから幸せになれない
”発達障害だから~”というレッテルを自分に貼ることで、「自分は悪くない、可哀想で不幸な悲劇の人だ」と正当化していました。
ですが、そのレッテルがあると身動きが取れなくなります。
現状を肯定してしまうため、本当にレッテル通りの人生になってしまうのです。
ありのままの自分を、ありのままでいられない環境で受け入れてしまう。
発達障害を無視してはいけない


著者は、病気についてこのように述べています。
病気や苦しみとは、天からのギフトのようなもので、その中にとても大切なメッセージが入っている。だが、それは《不幸印》のラッピングペーパーに包まれているので、たいていは嫌がって受け取られない。しかし、それは受け取らない限り何度でも再配達されてきてしまう。思い切って受け取ってその忌々しい包みをほどいてみると、そこには、自分が自分らしく生きていくための大切なメッセージが見つかる。
発達障害におきかえれば、「障害特性による生きづらさは、逆によりよい人生を送るための指針になる」といったところでしょうか。
いかにも宗教的で、「キラキラ発達障害かよ…」と言いたくなるのはわかります。
ですが僕は会社員を辞めてフリーランスになった今、この言葉はただの自己啓発ではないと思うんです。
- やりたくないことはやらない
- 障害特性に従う
- 欲望を叶える
それでは、一つずつ見ていきましょう!
やりたくないことはやらない
理想論に聞こえると思いますが、収入や世間的な地位が下がっても、やりたくないことは辞めるべきです。
自分が向いていないと直感するものは、生活から徹底的に排除していく。
そうすると、最終的には”自分らしさ”だけが残ります。
この考え方は、ある彫刻家のエピソードになぞらえるとわかりやすいです。
神の像を掘ったとき、人々は「どうやってその神の姿をイメージしたのか」と問いました。
すると彫刻家は、「神らしくない要素を消していったら、この姿になった」と答えたのです。
自分のやりたい事、自分らしさが分からないのなら、確実にやりたくない事を削っていけばいいのです。
「できない事は徹底的にできない」発達障害だからこそ、割り切ってこの考え方を実行できるのではないでしょうか。
嫌なことを真面目に取り組む必要はない。
障害特性に従う
僕は発達障害で本当に絶望し、先の見通しが立っていないのにフリーランスとして独立しました。
記事をひたすらシングルタスクで書いていくところや、コミュニケーションがチャットで済むところが気に入っています。
ただどうしても貯金が減っていくので、節約をはじめとしたお金の勉強もするようになりました。
物や生活習慣は徹底的にシンプルにし、毎日が同じことの繰り返しですが、ASD傾向のある僕には心地いい。
発達障害に逆らないようにしたら、自分が本当に求めていた生き方がわかりました。
人と関わらず、自分のルーティンに従って、幸福もなければ不幸もない毎日。
他人に嫉妬し親や社会を恨んでいた日々が一変、心が穏やかになり、自分本位に生きるのが怖くなくなったのです。
悪いのは本人ではなく、本人に不都合な環境。
欲望を叶える
著者は本編を通して、「心を頭で支配すると破綻する」と述べています。
心が直感で思ったことはだいたい正しいし、直感は使わなければさびていく。
あるがままの自分を承認し、自分の欲望に忠実になること。
そのためには、自分を否定する人や環境から逃げることです。
表面的な対処療法ではなく、しっかりと心の声を聞いてあげましょう。
発達障害だからこそ、自分勝手に生きてみよう。
【「普通がいい」という病 】発達障害に苦しむ理由 まとめ

この記事では、「『普通がいい』という病」をもとに、発達障害に苦しむ理由についてまとめました。
最後にもう一度、ポイントをおさらいしましょう!
- 頭で心を支配してはいけない
- 弱音を吐いて逃げていい
- 欲望に忠実でいい
普通に取りつかれると、逃げ道をどんどん断ち切ってしまいます。
そうして、自分が本当に生きるべき道までも失ってしまうのです。
「『普通がいい』という病」では、精神科医である著者のカウンセリング事例や文献の引用が多く、今までにない考え方を示してくれます。
”普通病”を治したいという人は、ぜひ読んでみてください。