雑記

発達障害者と自殺

「発達障害を強みに」「発達障害は得意不得意を分析すれば適職に就ける」という人間がいます。

そういう人間は発達障害コンサルを金にしているので、ポジショントークで綺麗ごとを言うのは理解できます。

しかし一部の発達障害を知らない人間は、本気でこう思っているのでタチが悪いです。

発達障害にまつわる負の数字はいくつかあります。

  • アメリカの自閉症の平均寿命は36歳
  • 知的障害のない自閉症の自殺率は定型発達の9倍
  • 自閉症の平均寿命は平均より16年短い
  • 発達障害の新卒の就職率は25%
  • アスペルガーの就職率は30%
  • 正社員は2割、派遣・バイトは2割、残り4割が無職
  • 自閉症の失業率は75~99%

ソース元まで調べてはいませんが、本当の発達障害当事者ならこれらの数字が決して大げさなものではないと理解できるでしょう。

仕事ができないのは当たり前。貧困なのは当たり前。恋愛できないのは当たり前。

何の才能も適正もない発達障害者が人並みに生きていくには、相当の努力と幸運が必要です。

生まれた時から健常者よりも相当不利なハンデを背負わされ、血のにじむような努力としたとしても、行き着く先は平均以下の人生。

そこに辿り着ける人間すらごく一部で、たいていの発達障害者はまともに働くことすらできません。

そして人間も同じく、環境に適応できない生物は死んでいく。

目次

生活保護と発達障害のつまらないプライド

人間は動物に違いなくとも、現代の人間社会は弱者の最低限の生命を保証しています。

どんなに生産性のない人間でも、税金をもってこれを生かします。

従って、仕事もまともにできない発達障害者であっても、最悪生活保護で生き永らえることは十分に可能です。

最低限食べてネット環境があれば十分な人ならそれでいいでしょうが、大抵の人は耐えられないのではないでしょうか。

例えば僕なら、大学まで自分を定型だと思っていました。それもそこそこ優秀な定型。世の底辺と呼ばれる人を自然に見下せる立場にある定型。

しかし就職後、同期と比べて明らかに劣っていることに気が付きました。

要領が悪い、コミュニケーションがうまくとれない、当たり前のことができない。

認めたくはなかった。自分は大器晩成型だと必死に言い聞かせた。でも限界だった。

調べれば調べるほど自分は発達障害という障害者で、通院の結果、晴れて正式な障害者になりました。

大学の同期は大企業や役所で問題なく働けているのに、自分はゆるい中小企業の営業すら勤まらない。

大学受験まで順調だった落差で、自分が障害者であること、仕事ができない側の人間であること、これからの人生に希望がないことが受け入れられませんでした。

これは今も同じで、発達障害と診断されて2年が経った今でも、自称優秀な定型だった頃の価値観が捨てられません。

生活保護でも生かしてもらえるだけ恵まれているのに、自分と同じスタートラインだった知人と比べてしまい、障害者雇用や派遣やバイトや生活保護といった選択肢を忌避してしまう。

正社員で人並みに稼ぎたい。スーツを着てオフィスビルで働きたい。

自分の無能さを棚に上げて、未だにこんな分不相応な妄想にばかりふけっています。

そして発達障害者の思考は0-100です。このまま受け入れがたい、幸福のかけらもない惨めな人生を送るくらいなら、死んだ方がマシだ。

こう考えても決して不思議ではありません。人生の損切りです。やはり定型には理解できない感覚でしょうか。

発達障害者のメンタル

発達障害者はメンタルが強くありません。

発達障害だからメンタルが弱いというよりは、発達障害をとりまく環境がそうさせます。

何をしても人並み以下で、ミスを繰り返し、温厚な人ですら激怒させる。

努力しても努力しても普通になれない。そもそも、発達障害者の努力など定型には認めてもらいません。

それもそのはず。発達障害者の努力とは「当たり前のことを当たり前にできるようになること」であり、それは定型が生まれながらにクリアしているからです。

慣れない作業に戸惑うとか、記憶力が悪いとか、コミュニケーションが苦手とか、それは定型も同じことだからです。

生まれた瞬間から天井人の定型に理解できるはずがありません。

定型と発達障害では難易度が段違いなのに、さも同列と捉えてしまう。定型の想像力のなさによって発達障害者が苦しめられます。

そうして毎日毎日定型にいじめられて、自己肯定感はボロボロ、誰からも理解されず孤立します。

発達障害でも顔が普通で若い女の人なら大丈夫ですが、男だったら目も当てられません。救いは一切ないです。

こんな地獄のような毎日を送っていて、正常なメンタルを維持できるはずがありません。

どうせ頑張って何かしても失敗して怒られて疎外されるだけ。段々と生きる気力すらなくしていき、この世に自分の居場所などないことを悟ります。

発達障害者の希望

仕事ができず、交友関係もなく、貧困や非モテに苛まれるだけの人生。

人間の幸福度は、良好な人間関係が大きく影響を及ぼすそうです。

しかし無能な発達障害者の場合、職場では孤立し疎まれ、プライベートでも恋人はおろか友人さえも作れない。

仕事ができない男がどうやって幸せになれるでしょうか。

仕事ができない男は狩りのできない動物と同じです。能力不足は死と同義。

いくら生活保護で生きられるとは言え、それでは社会システムに惰性で生かされるだけの家畜同然です。

どうして自分が。そう思います。

人並みに努力してきて、人並みに積み上げてきて、人並みに幸せになれるはずだったのに。

親から遺伝させられた発達障害のせいで、人生何もかも壊されたのです。

人間は平等ではありません。運の総量も平等ではありません。理不尽な世界で自分はたまたま外れクジを引いた。ただそれだけのこと。

頭ではわかっています。でもどうしても納得できません。何も悪いことをしていないのに。真面目に正直に素直に生きてきたのに。何一つ報われませんでした。

たかだか二十数年の人生でこの有様。これから年を重ねるにつれて格差は開いていき、相対的にどんどん惨めになります。

生きれば生きるほど発達障害に苦しめられることは確定しています。

死ぬ以外で救われないじゃないですか。

発達障害は脳の障害なんだから。どんな手を使っても治らないのだから。

社会保障の網からこぼれ落ち、世間からは無能な男として蔑まれ、自己実現も承認欲求を満たすことも許されない。

こんな人生を誰が送りたいと思うでしょうか。

死にたいと思うことは大げさでしょうか。

もしそう思えるなら、その人は随分と恵まれた人生を送ってきたのだと思います。

客観的に考えれば考えるほど、我ながら生きる価値のない人生だと結論付けられます。

発達障害の男の人生に希望などありません。

精神的な負債がみるみる積み重なっていき、それは絶対に返済できません。だから死ぬのが合理的なんです。

生きる方が合理的な定型には、こんな気持ちは絶対にわからないでしょうね。

僕もそちら側でいたかった。

死にたがっている人に「生きる価値のない人はいない」「他人と比べる必要はない」「俺も苦労を乗り越えた、発達障害は甘え」などと吐き捨てて気持ちよくなりたかった。

でもそれは叶わないですね。

どうやらこの世界では、僕は叩きがいのあるサンドバッグだったようです。

優等な定型に見下されるのが唯一の存在価値。他人の優越感を満たすためだけに存在し、社会の隅でひっそりと死んでいく。

そんな人生なら、いつ切り上げても同じじゃないですか。

POSTED COMMENT

  1. 文左衛門 より:

    生きながらえて何が悪い?
    社会保障でも親でも使えるものは使う。
    皆そうじゃないですか?
    私もそうなので。

  2. 名無し より:

    僕は発達障害者が事件を起こすのを生き甲斐にしてますね、凄惨な事件を起こすのは大抵発達入ってそうな人ですし
    定型が被害受けてるのみてざまあみろと思ってます

  3. より:

    僕も毎日定型にいじめられています。正直、やつらはみんな悪魔か何かだと思っています。早く死んで楽になりたい。

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)