雑記

発達障害者の弱者男性、無職になる

僕は大学を卒業するまで健常者でした。

小さい頃は勉強も運動もそこそこできたし、友達との交友関係も問題ありませんでした。

中1をピークに勉強に集中できなくなって成績は下降し続けたものの、結果的にGMARCHレベルの大学に現役で合格。

高校時代は部活でブロック大会に出場し(全国大会の手前ですが)、大学でも体育会で取り組むことに。

  • 自分は努力すれば人並み以上に結果を出せる
  • 不器用でも頑張れば報われる
  • 部活も学歴も将来の仕事も、日本人の平均以上の水準

大学進学直後の僕は、これらを信じて疑いませんでした。

ケチのつき始めは大学に入学してからです。言われた事に従って決めれた時間割通りに動けばよかった高校までの学生生活と比べ、自由度が高くなった大学生活は徐々に僕の人生に影を落としていきました。

  • 新しい環境で友達ができない
  • 講義で要領がわからず単位を落としまくる
  • 簡単だと思ってたコンビニバイトすらまともにできない
  • オシャレや恋人作り、青春とは程遠い生活を送る
  • 就活に失敗、しかも留年で内定取り消し
  • 2回目の就活で50社落ち、斜陽の薄給中小企業にギリギリ内定

そして社会人になった僕は、明らかに他の人より仕事ができない無能であることに気が付きました。そして精神科を受診し、晴れて障害者の仲間入りを果たしたのです。

ちなみに僕の弟は最重度の知的障害者で、僕は昔から障害者や無能な人を嫌悪していました。

しかし障害者の血は僕にも流れていたようで、これから死ぬまで障害に振り回される人生が惨めな始まるのでした。

現在僕は27歳、無職です。

  • 営業職3年(実質稼働10ヶ月)
  • ビルメン2週間
  • 工場派遣1ヶ月
  • Webライター1ヶ月

これらの仕事で挫折を繰り返し、仕事に対するトラウマと恐怖心、無気力と絶望だけが残りました。

人並みの人生はもう歩めません。仕事ができず、稼げず、女にモテず、貧困と劣等感にまみれたみじめな生を送るか、耐えきれずに自殺するかのどちらかです。

この記事では、そんな弱者男性の僕の人生を回顧します。何の教訓もないですが、人生の整理のために書いていきます。

弱者男性はどのようにして生まれるのか、発達障害の男はどのような末路を辿るのか、キラキラ発達障害者がいかに特別な存在なのかをここに記します。

目次

発達障害弱者男性の幼少期

僕は田舎の市役所職員の父、高卒工場パートの母の間に生まれました。

父は寡黙、母は過干渉という典型的なニート養成家族です。

1個下の弟は知的障害者で、親戚の中では初孫。思えば、健常者で優秀な兄としての役割をずっと押し付けられていたように思います。

小さい頃の思い出と言えば、勉強や習い事を強制されてきたこと。

  • スイミング(7年)
  • 空手(4年)
  • ボーイスカウト(3年)
  • 塾(6年)

習い事を色々やってきましたが、球技でもないので運動神経が向上することはなく、中学高校の部活にも役立ちません。

バレーボールとかピアノとかだったらよかったのに、何というかそういう所から親のセンスがないんですよね。

しかも自分からやりたいと言い出したことは一度もなくて、「みんなもやるから」「必要だから」と、子供の了承を得ることなく、罪悪感でコントロールしてきました。

教育の主導は母親で、父親から何か言われた事はありません。親の言うことは絶対に正しいというスタンスだったので、反抗したり意見を言ったりする気力もありませんでした。

思えば昔から内向的で、やりたいことも好きな事もなく、趣味嗜好からすべてを親にコントロールされていた気がします。

別にゲーム禁止とかずっと部屋で勉強漬けみたいな、極端な教育虐待があったわけではありません。しかし条件付きの愛情を与えられ、確かに窮屈な生活でした。

ただ、持久走大会前には毎晩無理やりコースを走らされるなど、親のエゴに振り回されることは多かったです。しかしそれが日常だったので、親が与える課題や要望を淡々とこなすのが使命でした。

今でも覚えていることがあります。小学5年生のとき、ふとしたきっかけで歴史にハマりました。

戦国時代や幕末の偉人を中止に、ひたすら伝記を読み続けていました。思えばASDの収集癖がよく表れていると思います。

伝記ばかり読んでいる僕に対し、母はある日トムソーヤーの冒険を渡してきました。「歴史ばっか読んでると知識が偏るから」だそうです。

今考えると、知識が偏ることの何がいけないのかわかりません。むしろその知的好奇心を育てれば、将来の夢ややりたい勉強につながるかもしれなかったのに、母親はその貴重な芽を摘み取ろうとしたのです。

母親は僕のことを見ていませんでした。頭の中に理想の子供像があって、そのテンプレートに近づけることに必死でした。その欲望には際限がなくて、母親はいつもイライラしていたように思います。

勉強して大学に行って公務員になるのが普通の人生だと、子供の僕は思い込まされていました。教育熱心だけど強制して押さえつけることしか手段を知らない。

僕はこれまでの生活で、両親から「生きる力」を教わったことはありませんでした。自己肯定感やコミュニケーション能力、生活力や金銭感覚、見た目の整え方、自分で考えて選択することなど、必要なことは何一つ教わりませんでした。

それが原因で一生涯にわたって損ばかりする人生を送ることになるのでした。

発達障害弱者男性の中学・高校

中学1年生のときが成績のピークでした。テストは学年一桁で(学年50人の田舎ですが)、勉強はやれば成果に反映されるので嫌いではなかったです。

塾で行った県模試では総合1位になりました。この調子で市内で一番の進学校に行くことを疑っていませんでした。

しかし中2から急に成績が下降します。バレー部が思ったよりも楽しく、勉強に興味が移らなくなったことが原因です。

しかもゲーム「逆転裁判」の影響で抱いていた検察官という夢も、成績の低下に伴って諦めてしまい、余計にモチベーションの低下につながってしまいました。

一つの事にしか集中できないのは昔からで、部活と勉強を両立することがどうしてもできませんでした。

結局市内4番手の自称進学校に妥協で入学するも、高校ではさらにおちこぼれました。ニートでも「中学生までは神童」は定番のようで、僕も御多分に漏れずこのパターンでした。

そして高校では、先生の指示を理解できなくて怒られたり、聴力は問題ないのに人の話し声だけ聞き取れないことがあったりしました。

そこまで深刻ではなかったので気になりませんでしたが、これらはのちのち社会人になって致命傷となります。僕は規則的で自分で考える必要のない学校生活が向いているASDタイプの発達障害者だったので、中学・高校は楽しく過ごせました。

コミュニケーションも問題なく、いじられキャラのコミュ強といったイメージを持たれていました。もしあの時の同級生が職場でどもっている僕を見たら、別人と思うでしょうね。

僕は先輩や先生とのコミュニケーションは苦手ですが、同級生や後輩相手にはリラックスして本領を発揮できます。しかし立場が上の相手になると緊張や委縮で言葉が出なくなり、口下手なつまらないヤツになってしまいます。

しかし中学・高校は同級生ばかり、クラスもあって自分からコミュニティを作らなくてもよいので、僕にはとても居心地のよい環境でした。

発達障害者の中には学校に馴染めない方も多くいますが、僕のような社会人になってから発達障害が発覚したタイプはこのパターンが多いのではないでしょうか。

発達障害弱者男性の大学

高3秋までまともに受験勉強できなかった僕は、2科目受験の学部を選んで何とかGMARCHレベルの大学に合格できました。日東駒専レベルも怪しかった僕からしたら奇跡のようなものです。

合格後、親と一緒に生協で下宿先を選びましたが、家具やレイアウトは後日両親が勝手に手配していました。僕自身も何でも親に任せるのが当たり前になっていて、自立する第一歩を潰してしまいました。

大学では中学・高校と打って変わって、全く友達ができませんでした。自分から積極的に関わっていくのは苦痛で、内向的ゆえに初対面の相手とのコミュニケーションがとても苦手だったのです。

一応体育会の部活には入っていたのですが、僕の種目はマイナーなので同期がおらず、またインターハイ上位ばかりが集まる強豪だったのでヒエラルキーが低いという状態でした。そのため部活のメンバーにもいまいち馴染めず、元々凡人なので部活でも早々に腐り、部活に関しては4年間を棒に振ることになりました。

こんなことなら中高でメジャーな球技の部活に入って、大学ではサークルで遊べばよかったと今でも後悔しています。凡人は凡人らしく身の丈に合った青春を送ればいいのに、僕はこういうところでよく判断を誤ります。

講義の方でも、要領よくサボったり過去問を回収したりする能力がなく、毎回律儀に出席するわりに全然単位が取れませんでした。

とくにひどかったのが第二言語の日本手話です。この講義はグループワークで板書がほとんどなく、声も出してはいけません。そのため、ジェスチャーやニュアンスを読み取り、同じクラスの生徒を協力して理解していく必要があります。

僕は視覚優位の発達障害者なので、ペーパーテストは何とかなってもグループワーク形式の直感型の講義は本当に苦手です。途中で記録も確認もできないので何も分からないまま講義が進み、普段の講義もテストもボロボロ。

本来2年生で終わる講義でしたが、結局留年して5年生まで続けることになりました。講師は聴覚障害者と手話のできる健常者でしたが、どちらも性格が悪かったです。

障害者差別をするなと言う癖に、発達障害者は平気で差別し、理解を示そうともしません(当時の僕は未診断の健常者でしたが)。結局声が大きくてわかりやすく可哀想な障害者が強くて、ただ無能なだけの発達障害者は虐げられるだけなのです。

最重度知的障害者の弟や聴覚障害者ぼ講師、そして発達障害者の自分。僕の人生は障害者に振り回されて、必要のない苦労ばかりしてきました。こんな経験は何の糧にもならないのに、ただただ虚しい。

発達障害弱者男性の恋愛

友達もまともにできない僕だったので、当然大学生になっても彼女はできませんでした。というよりも、恋愛というものが何か理解していなかったと思います。

女子を好きになったり性的な対象として見ることはありましたが、モテるために努力するとか服装や髪型に気をつけるとかをせず、ただひたすらに受け身でした。

下心を隠して優しく誠実な男を演じていれば、いつか自分の良さを分かってくれる女の子が現れると半ば本気で思っていました。今では典型的な非モテマインドだと分かりますが、当時は大学生になってもピュアな中学生と同じ価値観を持っていました。

大学は同年代の女子と遊べるボーナスタイムなのに、そのチャンスをみすみす逃し、むしろサークルでチャラチャラ遊んでいる連中を見下していました。でもそういう遊び人が社会人でも仕事ができるんですよね。

顔がよくて要領がよくて家柄がよくて才能があって、何もかも持っているヤツが女にもモテる。僕みたいなモテない男はひたすらモテなくて、努力をする発想もありませんでした。

どれだけ後悔しても、若い時にちゃんと恋愛をしてこなかった事実は変えられません。ナンパしてコンパしてお持ち帰りして浮気して、そうやって遊んできた男の人生の方がはるかに充実してるし、仕事でも有能です。

モテない男はとことん救えないです。こうした経験不足のまま年を重ねると、惨めさと後悔で頭がおかしくなります。たくさんの女を相手にしてきた男との差はもう埋まりません。

ただ僕は4年生のとき、奇跡的に彼女ができました。同じ部活の1年生です。ただ彼女もADHDで、ちゃんとしたアプローチで付き合えたのではありません。

それにデートのエスコートや振る舞いも全然学べなかったので、恋愛偏差値は皆無に等しいです。実家通いだった彼女を僕の下宿先に泊めるばかりで、デートの提案もすべて彼女がしてくれました。

付き合えたのはラッキーパンチで、その後も受け身の姿勢は変わらず。3か月程度で別れたので大した恋愛経験にもならず、見た目も中身も非モテのままです。

実際、社会人になってから彼女ができたことはありません。マッチングアプリでも全然いいねが付かず、会えてもアプローチがわからずに自然消滅。一度だけ参加した合コンでも一言も喋れず、スイッチバーでもうまく喋れず連絡先も交換できない。

仕事ができて金持ちでイケメンで女にモテる、自分と違って何もかも持っている男に嫉妬して恨みを募らせるだけ。知り合いが女と遊んできた話を聞くと、本当に羨ましくて仕方がありませんでした。

会社の仲のいい同期の女子社員は、大学時代に彼氏が一人しかおらず、見た目も中身も真面目な清楚系でしたが、学生時代にはマッチングアプリを含めて10人以上の男と寝たことがあると聞いて驚愕しました。

顔もかわいくてとても好みで、自分には高嶺の花だと思っていた子だったのでとてもショックでした。世の中には、僕が憧れる女と1,2週間の出会いでヤれる男がたくさんいて、その彼女が示す行為を気付かぬフリしてセフレ扱いできて、その子と差し飲みするだけで幸せだった僕は絶望しました。

まあ、これに関しては発達障害あるあるというか弱者男性あるあるですが、自分の人生に価値がないと本気で思います。

穴モテだろうがなんだろうが、最低限異性に相手にされる女の発達障害者にはこの気持ちは絶対に分からないでしょうね。最近は女への憎悪も高まってきて、人間性まで腐ってしまったと自覚しています。もし僕が女に生まれていたら、きっとツイフェミになっていたでしょう。

発達障害弱者男性の仕事 ①営業

一度目の就活は大手警備会社に内定をもらうも留年で内定取り消し。二度目の就活は本気で取り組みましたが、50社落ちて受かったのは斜陽産業の中小企業。

大手企業を中心にエントリーしていったのですが、なぜか全然うまくいかない。面接でパニックになってどもることが多かったのと、発達障害なのに適性検査に真面目に答えてしまったのが原因ではないかと思います。

同じ体育会の同期は当たり前のように大手企業に内定を勝ち取ったり、5社くらいしか受けていないのに第一志望に通ったりしています。僕は体育会なので一般学生よりエピソードがあって評価は高いはずなのに、そのアドバンテージを全然活かせませんでした。

また、当時は自分が無能コミュ障の発達障害者だとは思っていなかったので、「文系だから営業職」と最も向かない営業職を選んでいました。

もし高校の時に自分の素質を見極められていたら理系の研究職を選んだでしょうが、あいにく自分は福祉の学部。薄給激務の福祉職は全く興味がなかったので、学生時代の勉強は何一つ役に立ちませんでした。

入社後は1年半の長い研修があり、各部署を経験して最終的に営業職になりました。研修中は本当に簡単な事しか指示されず、課題の量も少なかったので、「自分は同期より不器用だな」程度にしか感じませんでした。

しかし営業に配属されると、クライアントとのやり取りやテレアポ、資料作成や社内調整が全然できませんでした。

  • 指示を理解できない
  • 指示を覚えられない
  • 全ての作業が遅い
  • 一度やった作業の内容を覚えられない
  • 運転が下手、道も覚えられない
  • 聴覚情報処理障害
  • 営業トークができない
  • メールに時間がかかる
  • 作業のために何を確認したらいいのかわからない
  • 咄嗟の判断ができずパニックになる
  • 臨機応変な対応ができない
  • 勘違いが多く、自分では気づけない
  • 空気が読めない
  • 世間話ができない
  • メモの取り方が分からない
  • メモを取ってもメモ自体を忘れる

などなど、注意欠陥ADHD+ASDの悪いところが出まくりました。「発達障害を強みに」なんて絵空事を言っている連中は、僕の勤務状況を見たら絶句するでしょうね。

努力しても何も報われず、コンサータでさえ効果がありませんでした。上司に症状を伝えて一応は対策をしてもらうも八方ふさがりで、結局逃げるように退職しました。

毎日のように上司に怒られ、同僚からは冷めた目で見られ、どれだけ発達障害を勉強して対策しても効果がない。日に日に精神は病んでいって、自分の障害を呪って毎日自殺ばかり考えていました。

純粋なADHDなら、衝動のままに営業やテレアポができ、コミュニケーションも積極的に取れて、変化していく状況、成果を挙げて数字を積み上げていく仕事が楽しめるのかもしれません。その場合の鬼門は事務処理になり、対策も分かりやすいです。

しかし僕の場合はADHDの不注意とASDの融通の利かなさ、コミュ障がブレンドされているため、何の長所もなくてただただ仕事ができません。臨機応変な対応やコミュ力が不要な仕事などほぼないため、適職など存在しません。

「発達障害の強みを生かす」なんて言っている人は、こうした救いようのない無能な発達障害を見てみぬ振りしているペテン師です。自分を含めた恵まれたごく一部の発達障害者だけを相手にして、ただの偶然や奇跡を「努力の成果」だとのたまう。

無能型の発達障害者は、そうした声に耳を傾けてはいけません。適性の問題ではなく、根本的に社会活動が向いていないからです。手帳の出る発達障害者とは、そういう次元をさします。

営業は商談だけでなく、社内調整や資料作成などの事務作業も多いです。営業は変化が多くマルチタスクが求められる職種であり、完全に詰みでした。純粋なADHDなら望みはありますが、ASDを併発している人は絶対に選んではいけません。

発達障害弱者男性のニート生活

新卒で入った会社を3年目で辞めた僕は、障害者手帳を取得して10ヶ月間の失業手当を受け取ることに成功しました。その間はブログを100記事書き、その知見を活かしてWebライターデビューに備える予定でした。

最初の3ヶ月は精力的に記事作成をしていましたが、全然成果が出ずに挫折。結局書いたのは70記事くらいで、月500円程度の収入が入るだけの弱小ブログになりました。

ブログはあくまでWebライターで営業をかけるためのポートフォリオなので、それ自体は問題ありません。なので残りの7ヵ月はすっかり油断して普通のニート生活を送っていました。

慎ましく読書でもしていればよかったのですが、僕はあろうことかロードバイク関連に40万円ほど使ってしまいまいました。せっかく時間があるので、ロードバイクでいろいろなところに旅ができれば、このニート生活も充実すると思ったです。

ロードバイク自体は学生時代からやっていたのですが、o脚がひどくてどうしても膝を痛めてしまい、断念していました。また再開してもすぐ膝を痛めてしまうのは分かっていたのに、「今度は大丈夫」と根拠のない希望をもって、しかも高価なモデルを買ってしまいました。

一度欲しいと思ったら我慢ができない性格で、1週間くらいずっとロードバイクの動画やサイトを見て、膝を痛めた経験を都合よく楽観視するようになってしまいました。ADHDは衝動買いをすると言いますが、僕の場合は欲しいと思った瞬間にそのことしか考えられなくなって、瞬発的ではないものの実質的な衝動買いをしてしまいます。

そして買った直後から「やっぱり買わない方がよかったんじゃないか」と後悔する始末。案の定膝を痛めるわ、思ったほど楽しくないわ、o脚を治すための整体に7万を使うも全く効果がなかったわで、約50万円を無駄にしました。

こうなることは買う前から分かっていたのに、どうしても一時的な欲求を優先してしまいます。やはりニート生活は暇すぎて、「この時間をいかに充実させるか」と余計な事を考え始めます。何かの勉強をするか再就職でもすればいいのに、楽な方に逃げてしまいます。

ロードバイクでも買えば生活にメリハリが出て、趣味のために仕事も頑張れるようになると考えていました。せっかくにニート生活なんだから、ロードバイクで旅でもできればいいなと思っていました。頭悪すぎです。

将来のために貯金するとか計画を立てる発想ができなくて、いつもしょうもないお金の使い方をしてしまいます。そして本当に欲しいものを妥協してしまうのです。これは発達障害に関係あるのかないのか分かりませんが、お金の使い方まで要領が悪くて本当に嫌になります。

結局ニート生活の大半はネットサーフィンや動画鑑賞の安い時間潰しばかりしていて、何一つ成長しませんでした。別に旅行など思い出作りでもできればよかったのですが、やりたいことも特にないのでずっと家に引きこもっていました。

やりたい事もなくて受け身体質で計画性のない無能に時間があっても、全然活かすことができません。それどころか、余計な買い物で生活資金を減らす始末。仕事ができない無能はプライベートでも無能なのだと思います。

何が必要で何をするべきかの判断ができない。目的のために計画を立て実行し、辛抱することができない。楽な方にばかり流されて、必要なことを先延ばしにする。都合のいい情報ばかりを信じて、すぐに自分を甘やかす。

そうした悪癖がある限り、仕事をしていようがしていまいが、決して幸せにはなれないのだと思います。現にニート生活を10ヶ月も続けていると、今度は働きたくなってしまいました。

まだ27歳。多少職歴に空白はあっても正社員を諦めるほどではありません。フリーランスのWebライターを狙っていましたが、その前に正社員に再びトライしようと考えました。

ホワイトカラーが無理なら、次はブルーカラー。ニートでもできるとウワサのビルメンを受けることにしました。

発達障害弱者男性の仕事 ②ビルメン

なんJでニートでもできる仕事として有名なビルメンなら、無能な発達障害者の僕でもできるのではないかとおもいました。家の近くの中小企業に応募し、1回の面接で採用されました。

そして結果的に、僕はその会社を2週間でバックれることになります。

その会社は決まった施設に常駐するのではなく、1日2,3件の施設に訪問するスタイルでした。施設や案件ごとにルートや作業内容、道具が変わるため、物覚えが悪くて環境の変化に弱い僕にはもうアウトです。

そして道具を持ち運んで配置し、手順通りに作業を進めて片づけるという一連の動作がどうしてもできませんでした。まだお手伝いの段階ですが、僕の無能さは上司に一瞬でバレました。

「わかりました」と言っても信用してもらえず、指示を理解できなくて記憶力も悪い、メモすら取れない無能キャラになるのに1週間はかかりませんでした。

やはりブルーカラーは動作性IQの低い人には向いていません。難しいことを考えるのではなく要領よくパッパと作業するのが大事ですが、無能型の発達障害者には不可能です。

ひとつの施設に常駐して、毎日同じ作業の繰り返しなら慣れで何とかできるかもしれませんが、機械点検や貯水槽清掃、工事など多岐に渡る作業をこなさなければならない状況では、とても覚えられません。

この環境で働ける気がしなかったので、退職届と備品を会社のポストにぶち込んでバックれました。動作性IQの高いADHDならよかったですが、ASD要素が強いとブルーカラーは務まりません。というか、この世に動作性IQの低い人がまともにできる仕事なんてそうそうありません。

この事実を身をもって知った僕は、再び引きこもり生活に突入するのでした。

発達障害弱者男性の仕事 ③ライン工

もうまともに社会人にはなれないと悟った僕は、当初の予定通りフリーランスのWebライターになります。ブログの経験を活かしてクラウドソーシングサイトで案件を受注していきました。

しかしいきなり独立するのは心もとないので、派遣のライン工とのダブルワークでいこうと考えました。ライン工みたいな単純作業ならさすがの僕でも大丈夫だろうと思ったのです。

しかしライン工も1ヶ月でバックれました。作業自体は問題ないのですが、材料の準備や片づけ、伝票処理がどうしてもできなかったのです。マニュアルがなくて「見て覚えろ」形式だったので、いつまで経っても覚えられませんでした。

それにASD傾向が強いとはいえ、単純作業を毎日8時間もこなすのはとても苦痛でした。ADHDの飽きっぽさが出たのかもしれません。ある日急に辞めたくなって、その衝動を抑えきれなくなりました。派遣だし、まだWebライターという可能性が残っているから、また楽な方に流されました。

発達障害弱者男性の仕事 ④Webライター

ライン工を辞め、専業Webライターとして独立しました。副業時は月4万、専業1ヶ月目は15万稼げました。連絡はチャットでマニュアルも完備されており、誰ともコミュニケーションを取らずに黙々と作業できるのが合っていました。

興味のない記事について何千文字も書くのは苦痛ですが、他人と肩を並べて働くよりも余程マシです。フリーランスのWebライターこそが自分に合っている働き方だと思っていました。

しかしWebライターも専業1ヶ月で辞める事になります。

毎日休みなく1日中働き続けるのが辛くなったこと。案件数をうまく調整できなくて、納期ギリギリの毎日を送るのが嫌になったこと。専門知識がなくて管理ポストにも向かない自分には、これ以上稼ぐビジョンがわかなかったこと。

フリーランスは会社員でも通用する人が、さらにランクアップするためになるものです。会社員もまともにできなかった無能がなるべきではありませんでした。Twitterの意識高い系のツイートに共感し、自分も頑張ろうと素直に思える性格でなければダメです。

強制力があってもダメで、自由過ぎてもダメ。根性が腐っていて逃げる言い訳ばかり浮かんでしまうので、もうどうしようもありません。能力が低いくせに、簡単に成果が出てそこそこの収入としっかりとした休みがなければ働く気になれない。

完全にクズです。それに度重なる挫折で、もう働くのが怖くなってしまいました。どうせうまくいかない。努力ができない。根性も出せない。未来を想像して悲観し、それならば貯金を食いつぶして自殺するほうがコスパがいいと考える始末です。

発達障害弱者男性の現在

現在僕は、一人暮らしのニートをしています。貯金はあと数ヶ月でなくなります。それまでに働くかどうか迷っています。どうせこんな人生うまくいかないんだから、ダラダラ生きて貯金が無くなったら自殺するのもいいかなと本気で思います。

運よく仕事が続いたとしても、どうせ薄給でやりがいのない仕事に決まっています。金がない非モテだから彼女もできないし、今度は貧困と劣等感に苦しめられることになります。

頑張って生きても底が知れていて、発達障害の人生は努力が決して報われない。それなら一生懸命生きる意味なんてありません。辛い思いをして惨めになって、それでも全然稼げない。報われない。そうやって不幸な人生を死にたくないという理由だけで続けるのならば、ちゃっちゃと死んだ方がコスパがいい。

やりたいことはいくつかあるけど、それにはお金が必要。でもまともに働けないし、健常者にバカにされながら生きるくらいなら死んだ方がいい。

発達障害者は生まれた瞬間に負けなんです。何となく生きてるだけなのにモテて、才能があって、就職もうまくいって、大企業でも普通に働けて、女とたくさん遊んで結婚できる人間をたくさん見てきました。彼らは死ぬ思いで努力しているわけじゃなくて、何となく生きてるだけなんです。なのに人生大成功している。

これは遺伝子や環境や運の問題です。生まれた瞬間に成果の出やすい人生であることは確定していて、だから自然と努力だってできるし、自己肯定感も上がる。一方で発達障害者はゴミみたいな遺伝子を与えられて、ハードモードな人生を強いられている。

なのに発達障害は努力不足と言われ、世間から同情されず、差別されて貧困でモテない。本当に何のために生きているのかわかりません。不幸な人生を強制されて、それでも生きる意味があるとは到底思えません。

馬鹿馬鹿しいです。恵まれているやつはとことん恵まれているのに、負け組は負け組のまま。この格差は絶対に覆せない。しかも発達障害の中でも最悪な注意欠陥ADHDとASDの組み合わせで、才能はなく、女みたいに結婚に逃げることすらできない。

こんなに外れクジを引かされて、もう努力なんてできない。一生懸命になれない。死んだ方がマシ。無敵の人の気持ちがよくわかる。運が良かっただけの連中が憎くて仕方ない。僕が死ぬほど努力しても、待っているのは緩やかに不幸な底辺の人生。こんな理不尽があるか。

どうしようかな。あとできるとしたら介護か警備。バイトは無理だ。要領悪いし、フリーターで苦労してまで生きたくない。でもどうせ何の仕事しても理由つけて辞めるんだろうな。無能なクズは本当に手に負えない。

発達障害の僕は、どうすればこんなことにならずに済んだのだろうか。人生を振り返っても、社会人編で詰み。だからこの人生に後悔はない。どの選択をしても待っているのは地獄。生まれた瞬間に負けた。理不尽に負けた。

僕は両親を恨む。健常者は「いい年して親のせいにするな」と軽々しく言うだろうけど、障害に人生をめちゃくちゃにされた人間の気持ちなど分からないだろう。あの親は発達障害者と知的障害者を産んだ。ふたりの子供の人生をぶち壊したも同然。僕からしたら殺人犯と何ら変わらない。

生まれてくるんじゃなかった。こんな人生なら、生きている意味がない。誰も助けてくれないし、自分で生きる能力もない。両親が憎い。社会が憎い。発達障害の男は死ねってことだ。

それなら最後に、自分のせいで発達障害が子供に遺伝したにも関わらず、下手な絵の漫画を描いて被害者面している頭の悪い主婦を片っ端からぶっ飛ばしてから死にたい。

POSTED COMMENT

  1. 文左衛門 より:

    拝見させていただきました。
    何と申して良いのか言葉がすぐに浮かびませんが…
    ただ早まったことは考えない方が良いかと。
    同僚の彼にも記事紹介しておきます。

  2. より:

    自分と似たような気持ちを綴られていて、とても共感しました。
    俺も現在無職の一人暮らしです。(最底辺短大卒28歳男)
    主さんは学歴があって文も書けるだけ俺より遥かにマシですよ。
    俺もまるで同じような事(とにかく覚えられない、自分は認識すらされない弱者だ、女は良いよなetc…)をずっと考えてます。
    ただ、「運が悪い」という考え方はなるべくしないようにしています。
    どっかの動画で見たのですが、統計上「自分は運が悪い」と常々思ってる人は、本当に運が悪く、逆も然りなんだそうです。
    つまり、自分が「運がいい方」と思えば、ワンチャン逆転できる可能性もあるということ。
    俺も超受身体質なので、果報は寝て待て戦法でいつか人並みの生活かそれ以上の物が待っていると考えながら生きてますw

    参考にならないとは思いますが主さんも運だけは悪いと思わないで生きると良いですよ。

  3. より:

    共感しかありません
    世間は身体障害者>発達障害者で発達障害者には同情してもくれない
    人間としてのヒエラルキーでも障害者としてのヒエラルキーでも下位
    もはや救いがありませんね
    発達障害者に関する統計は暗いものが大半であり、どれだけ苦痛な人生かを物語っています
    「努力しろ」なんて言葉も聞き飽きました
    過去を後悔し今に絶望し将来に恐怖する、これが私の人生
    今は未来への恐怖に怯えながらただ時を過ごしています

  4. 弱者男性 より:

    自分は一応働けていること以外は、この記事主さんと共通点が多いですが、どうすれば良いんでしょうね?この世は弱肉強食といえばそれまでですが、今の世はそんな弱者でも死なずに生かされてしまうので、むしろ弱肉強食という言葉すら生易しいのかもしれないですね。

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